待望久しい「いまロック」の新譜

最近、最も気に入っているロックバンドが、Breaking Benjamin。
その待望の新譜がリリースされた。5作目となる『Dark Before Dawn』だ。
メンバーが一新されたというが、サウンドは『Phobia』『Dear Agony』の路線を踏襲。
目新しさはないが、「怒りと悲しみが同居する、激しくもどこか切ない楽曲」は健在だ。
これはまさに私のツボ、どまんなか。
しばらくはヘヴィ・ローテーション。
オッサン(いやジジイか)が新しいロック聴いたっていいのだよ。

「Angels Fall」https://www.youtube.com/watch?v=R9HsVScOYWo
「Never Again」https://www.youtube.com/watch?v=Aglz3MZhP0U
「Ashes of Eden」https://www.youtube.com/watch?v=T07b-AnfjYw

 

オーネットの死、あるいはひとかけらの自由

オーネット・コールマン(Ornette Coleman)が逝った。
享年85。
これでオリジナルカルテットはみんな鬼籍の人となった。
オーネットは真のイノヴェーターだった。
フリージャズという意匠は重要ではない。
オーネットの影響は現代のすべてのジャズマンのプレイに及んでいる。
主流派であろうが、コンテンポラリーであろうが、オールドスタイルであろうが、
濃淡の差こそあれ、
あらゆる演奏にオーネット的なものが含まれている。
いわばオーネットの登場以前と以降では、ジャズは質的変化を遂げたのだ。
このようなジャズのイノヴェーターを私たちはもうひとり知っている。
そう、チャーリー・パーカーである。

オーネットが音楽に与えたひとかけらの自由。
いまのジャズマンは当たり前のようにそれを享受している。
リスナーも同様だ。
オーネットに心から感謝。そして、合掌。

「Morning Song」https://www.youtube.com/watch?v=JCkqWtnFPBc
『Dancing in your head』https://www.youtube.com/watch?v=PHacXpUis1U
「Song For Che」https://www.youtube.com/watch?v=d1Jyt8Cx5ls
「Law Years」https://www.youtube.com/watch?v=ZGPFNGTTdTs

オリジナルカルテット
「The Blessing」https://www.youtube.com/watch?v=9nGDRpdgAGs
「Turnaround」https://www.youtube.com/watch?v=OG3AJSpb-fE
「Lonely Woman」https://www.youtube.com/watch?v=5Sq9PE-2JVA

アトム誕生までの新しい物語

手塚漫画のスピンオフ、あるいはリメーク。
手塚治虫没後、四半世紀が過ぎたいまも次々と登場するが、
たとえばブラックジャックものなんか、もうちょっと辟易する。
真打ちはいまのところ浦沢直樹の『Pluto』に違いないが、
同じアトムもので期待できそうなのが、これ。
『Atom The Beginning』(アトム ザ・ビギニング)
コンセプトワークス・ゆうきまさみ、漫画・カサハラテツロー。
帯に「鉄腕アトム誕生までの物語 エピソードゼロ」とある。
まだ第1巻が出たばかりだが、
天馬博士とお茶の水博士がまだ学生(!)で、
自我のあるロボットをつくろうと、バイト(!)しながら頑張っている(笑)
この設定だけで、迷わず買いだ。
いまより少し進化したロボティクスと
アトムをつなぐ作品を企図しているのかもしれない。
彼らのつくったロボット「シックス」が
なんとなくアトムを連想させるのだが、
アトムの誕生はまだまだ先のことのようだ。
とりあえず、鶴首で第2巻を待とう。
月刊誌連載のようだから、半年後かな。

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傘寿のGary Peacockに酔う

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Gary Peacockの新譜『Now This』がECMから出た。
Marc Corpland(p)とJoey Baron(ds)のトリオ。
曲は大半が過去の作品のセルフカヴァー。
これがいい。
かねてからPeacockとこのMarc Corplandというピアニストは
相性がいいと思っていた。
陰影の深い耽美的な美しさ、
その点で両者の資質がマッチングしている。
Corplandとの共演では、
Keith JarrettのスタンダーズでのPeacockとは異なる、
本来のPeacockが立ち現れる、そんな気がしていた。
本作も期待以上の出来映えだ。
Charlie Haden亡き後、個人的には現役最高のベーシスト。
御歳80歳。
この作品が遺言とならないよう、
これからも作品をリリースしてほしい。
願わくはマナリズムに陥ったスタンダーズではなく、
Ralph Towner(g)やPaul Bley(p)とのduoでも
演ってくれないものか。

新譜はYou Tubeにないので、
これまでのPeacock+Corplandのコラボを紹介しておきます。
「Cavatina」 https://www.youtube.com/watch?v=f15DDlWlQrs
「River’s Run」https://www.youtube.com/watch?v=BCuhQmXEKJY
「Calls and Answers」https://www.youtube.com/watch?v=CZaqx1R2-jM

 

 

 

 

長い時を超えて―Carole Kingへの思い

本日のBGMはCarole Kingの『Music』(1971)。

昨夜、You Tubeでブロードウエイ・ミュージカル『Beautiful:The Carole King Musical』のtrailer(EPK:予告編というか映像広告)を見たのが、引き金になっている。https://www.youtube.com/watch?v=jfnAQG3vSaM

このミュージカルは昨年、上演が開始され、現在までロングランを続けているヒット作のようだ。トミー賞2部門受賞ということだから、玄人筋の評価も高い。

思えば、Carole Kingの生涯は、そのままアメリカン・ドリームである。

歌手を夢見たそばかすの平凡な女の子は、やがてソングライターとして非凡な才能を発揮。

夫となった作詞家とのコンビで、ヒット曲を連発する。

ビートルズが訪米したとき、真っ先に挨拶に来たというエピソードもよく知られている。

そのようなメロディ・メーカーとして大成功しても、歌手になりたいという希望を捨てられない。

でも、美貌も美声もない彼女にその機会はなかなか訪れない。

転機が訪れたのは、離婚やヒット曲の減少など公私ともに辛酸を舐めた20代の後半である。

シンガーソングライター(SSW)、リスナーと等身大の思いや悩みを歌う新しい歌手たちの出現。

そのブームを牽引したのが、Carole Kingのソロ第2作『Tapestry』であった。

このアルバムの世界的な大ヒットによりCarole Kingはビッグネームとなり、

念願の歌手としてその後の生涯を全うしていくことになる。

で、話をアルバム『Music』に戻す。

『Tapestry』の大ヒット中に発売された第3作であり、

どうしても『Tapestry』の光輝にかすんで、影は薄い。

でも、私の愛するアルバムであることは変わりない。

また、某通販サイトに投稿したレビューを引用する。

 

木漏れ日のような幸福感

懐かしいアルバムだ。いったい何回聴いたことだろう。「Song of Long Ago」ではジェームス・テーラーのパートをよくご唱和したものだ。
確かキャロル・キングは妊娠中で、ジャケットの写真はピアノで腹を隠しているという話があったと記憶する。「Tapestry」の大成功、私生活の充実、人生最良の時を謳歌するキャロルの歌声には自信が漲っている。
春を待つ冬の日だまりのような前作に対して、夏を間近にした晩春の木漏れ日のような作品といえばいいのか。「Tapestry」に劣らず佳曲が多いにもかかわらず、人気では一枚落ちるのは、明るく幸せあふれる雰囲気がわざわいしたのだろう。
しかし、それこそ好きずき。ここにはキャロルの魅力が寿司詰めなのだ。私のお気に入りは「It’s Going to Some Time」「Surely」「Song of Long Ago」など。どちらかというと作曲の評価が高いキャロルだが、これらは歌詞もなかなかどうして素晴らしい。
「幸せでない誰かのために泣こう。そして泣けるほど感じることができたことを喜ぼう」(「Song of Long Ago」)。
私にとっては、このアルバムは「Tapestry」と並ぶキャロル・キングの2枚看板であり、遠い10代の日の忘れがたい思い出と結びついている。 (2005年4月24日)

 

なんと、いま気がついたが、このレビューを書いたのがちょうど10年前。

『Tapestry』や『Music』を初めて聴いたのは44年前だから、分厚い時の堆積に驚くしかない。

それでもなお、いまも多くの音楽のなかで私のお気に入りであり続けている。

おそらくは一生物。80歳を過ぎても、ときどき聴いているに違いない。

上記の10年前の私のお奨めの3曲をあげておこう。

懐かしいと思う方も、これまで聴いたことがない方も、

ぜひ聴いてみてください。

「It’s Going To Take Sometime This Time」 https://www.youtube.com/watch?v=h3dvSkSrOxI

「Surely」  https://www.youtube.com/watch?v=R78_PAiygw4

「Song Of Long Ago」  https://www.youtube.com/watch?v=gQFhw2RcBXY

ちなみに、10年後のいまの私のお奨めは、「あなたがいたから生きてこられた」と子供のことを歌ったこれ。

「Brighter」 https://www.youtube.com/watch?v=rTRFAd2o_CQ

名残の桜

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散つた桜散る桜散らぬ桜哉 子規

 

ソメイヨシノはすっかり葉桜になったけれど、

どっこい近所の公園では八重桜が満開。

ボッタリと艶っぽい花房を風に揺らせています。

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で、風にちぎれた一輪半(半って?)。

拾い上げて、オフィスに。

本日の仕事の友にしました。

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一重づゝ一重つゝ散れ八重桜 子規

桜の楽しみはまだしばらく続きそうです。

 

 

 

 

ジャンルを超えて響きあう魂(ソウル)

久しぶりに

Gary Karrの『Brown Soft Shoe』(2003)を聴く。

gary Karr

Karrはクラシックのコントラバス奏者。

このアルバムは「Remembering Ray Brown」と

サブタイトルに謳われているように、

ジャズベースの巨人、Ray Brownへのオマージュである。

かつて某ネット通販サイトに私が書いたレビューに

このアルバム誕生の経緯は詳しいので引用する。

(以下、引用)

ジャズって何なのだろう?
このアルバムを聴きながら、そんなことを考えた。
ゲリー・カーはクラシックのコントラバス奏者。現在の第一人者であり、多数のアルバムを発表している。そのコントラバス・マスターがなぜジャズ・バラード集を? その理由は自身の筆でライナーに記されている。
かねて親交のあったジャズ・ベーシストのレイ・ブラウンが、ある時、ゲリーのリサイタルを聴きにきた。その時、「あの若造に少しでも魂(ソウル)があったら、俺たち失業しちゃうな」と同行したジャズの仲間に話したという。それを漏れ聞いたゲリーは大きなショックを受け、レイに真意を問いただした。レイは頓着せず、率直に答えた。「魂はブルースって意味さ。ブルースを感じられたら、おまえはとんでもないジャズプレイヤーになるぜ」と。
クラシックのマスターになってからもゲリーの胸には、このレイの言葉が深く刻まれていたのだろう。ゲリーは何年も前からレイとの共演を望んだが、互いのスケジュールが合わず、レイの逝去で果たせなくなった。そこで、ゲリー本人が「魂へのささやかな試み」と呼ぶ、レイ・ブラウンに捧げたこのアルバムが誕生したのである。
ここにはジャズでいうアドリブはない。しかし、クラシック奏者ならではの奥深い表現力がある。
ここにはやはりブルースはない。しかし、しかと「魂(ソウル)」はある。
ジャズとは何か? そんな問いには意味がないのだろう。魂を打つ音楽がそこにあれば。
それにしても、レイ・ブラウンとの共演が実現していれば、どんな音楽になっていたのか。演奏を終えたレイは、帽子を脱いでゲリーに敬意を表しながら、「ブルースじゃまだまだだぜ」とニヤリと笑ったに違いない。

(以上、引用終わり)

このアルバムについては、今でもこれ以上書くことはない。

これはキングレコードが当時、リリースしていた「低音シリーズ」の1枚。

Richard Davis、Brian Brombergなどジャズベースの名手に加えて、

Francois Rabbath、Daniel MarillierやL’Orchestre De Contrebassesなど

クラシックマスターにも光を当てた素晴らしいシリーズだった。

タルコフスキーを思う午後

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輸入盤のCDはしょっちゅう買うが、

洋書を買うことなんて、生涯でもほとんどない。

理由は簡単。外国語が読めないからだ。

もはや辞書の力を借りても、かなり怪しい。

ところが、これだけはどうしても欲しいと思った。

『Instant Light:Tarkovsky Polaroids』である。

映画監督のアンドレイ・タルコフスキーが

生前に撮ったポラロイド写真を集めた本。

写真はポラロイドサイズで掲載されている。

この数日、これをパラパラと眺めている。

もとより、ポラロイドなので、鮮明ではない。

しかし、光、影、空気、水気、匂い、そして音。

ああ、タルコフスキーの映画、そのままだ。

とくに後半の「Italy」で撮られた写真は、

私の最も愛する映画である

『ノスタルジア』の世界と直にリンクしている。

あの色濃い終末感と、

あえかな蜘蛛の糸のような救済の意志。

それが胸中に甦ってくる。

タルコフスキーの映画を見たい、

それもDVDじゃなく、映画館で。

そう思いながら、パラパラ眺めることをやめない

今日の午後。

武田さんを送る言葉2

武田さんを送る会にご出席いただけなかった方々からも、会の当日までに心のこもったメッセージをいただいています。会でも一部を紹介させていただきましたが、ここに全文を掲載させていただきます。

メルシ・ボク さまざまなこと 思い出す
〈終わって〉
骨壺が ただひとり待つ 桜かな(HO)

タケダちゃん
こんなに笑ってたよ。
みんな若かったよね。
この頃から変わってないようでもあり、
やっぱり年をとったようでもあり…。
でも、きばって生きたよね。
おつかれさまでした。(KY)
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武田さんと一緒にお仕事させていただくようになったのは、今から20年ほど前です。ある企業情報誌の制作を唐草書房に依頼したのがきっかけでした。
京都の唐草書房に、大阪からお伺いする機会がなかなかなく、電話だけのお付き合いがしばらく続きました。
武田さんは、ハキハキした明るい声で、いつも気持ちよく応対してくれました。武田さんについて、当時20代(現在だと40代)のぽっちゃりとした小柄な女性という印象を私は勝手に持っていました。原稿の催促やクレームで電話をすると、武田さんは恐縮して、声のトーンが少しだけ下がります。しかし、電話が終わる頃にはいつもの明るい声に戻り、後味の悪さを感じたことは一度もありませんでした。癒しの力を持っていたのだと思います。
武田さんと初めてお会いしたのは、電話でのお付き合いが始まって10数年後です。唐草書房に初めてお伺いした時、迎え入れてくれたのは「小柄でぽっちゃり」とは真逆のすらりとしたかっこいい女性でした。その時、武田さんの(大体の)ご年齢もお伺いして、もう一度驚きました。
武田さんにお会いしたのは、この時を含めて2回だけです。人の思い込みとは恐ろしいもので、その後も武田さんと電話でお話をすると、小柄でぽっちゃりとした武田さんが勝手に脳裏に浮かんできました。
20年経っても変わらなかった武田さんのはきはきとした明るい声。それをもう聞くことができないのかと思うと、とても寂しく残念です。
武田さん。これまで無理難題、時には言いがかりにもお付き合いいただき、本当にありがとうございました。そして、お疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠りください。(YM)

武田さんへ
出会いは仕事で、それも電話やメールでのお付き合い。
ずいぶん経ってから実際にお会いして、優しい声の印象とはまた違った凛とした格好良さのあるところに、
私はすっかり魅了されました。こういう方だからこその、丁寧な、ご自分にも厳しいお仕事ぶりだったんですね。
たくさん助けていただいて、本当に感謝しています。ありがとうございました。
武田さんを思うとき、いまも耳元に電話の声が甦ります。きっと忘れません。
どうか安らかに。ご冥福をお祈りしております。(YO)

「武田さん、お久しぶりです。お元気ですか。」と声を掛けたくても、あなたはもう亡くなられてしまっているのですね。なんとも淋しくしみじみしてしまいます。
春の風に誘われたのか、関東で生まれ育った私が、京都の会社に就職したのは、三十前の春のことでした。新しい勤め先、そのころ百万遍の思文閣会館に間借りしていた同朋舎の編集部に、小川浩さん、木村京子さん、そして武田さんがいて、ひとり心細い思いをしていた私を皆さん温かく迎えてくれました。その時、武田さんは二十代半ば。そんな若い頃の武田さんをご存じの方は、今日の会にどれほどいらっしゃるでしょう。
それから数十年があっという間に経ち、私は六十半ば、武田さんも六十代になっていました。ほんとうに嘘のように時間は経ちましたね。この二十年くらいは京都の唐草書房に顔を出すことなくいましたので、たまに電話で声を聞くくらいでお目にかかることなく過ぎてしまいました。
いま、私の思いだす武田さんは、若い日の初めての出会いの時の、独特なはにかんだようなほほ笑みです。あっという間にすぎた数十年の中で、何度となくそのほほ笑みを思い出したことでしょう。
武田さん。私は、あなたの好みをほとんど知りません。どんな食べ物を好まれたかも、どんな本を読んでいたかも、どんな音楽を聞いていたかも、車を運転されたかも、ジョギングが趣味だったかも。映画の好みさえ話したことがないような気がします。私は、あなたがおしとやかであったのか、そうみえてもなかなか活発であったのか、笑い上戸だったのか、泣き上戸だったのか、まさか怒りんぼではなかったと思いますが。そんなことも知りません。
私のほんの少し、知っているのは、職場ではもくもくと仕事をこなし、時に電話に英語で受けこたえしている武田さん。マサイ族が好きで、地道にスワヒリ語をまなばれていた武田さんです。
いまも武田さんのはにかんだほほ笑みを思いだすにつけ、武田さんとの出会いも、私の人生にとってかけがいのない出会いであったと感じています。人と会うということは、その人の命に出会うことにちがいありません。
本日、武田さんを偲ぶ会にご出席の皆さま、どうぞ武田さんの分までお元気でお過ごしくださるよう祈ります。お目にかかる機会がありましたら、ぜひ私の知らない武田さんのことを聞かせてください。
武田さんのはにかんだほほ笑みは、永遠です。 (KM)

武田栄美様
未だによくのみ込めず、信じ難いお別れです。
お仕事を辞められたと聞いた時、今度はいつか、自由な時間に、どこかでゆっくりお話ができればいいな…などと、呑気に思っていたことを、後悔しています。年に一度は京都で友人と会い、一晩飲み明かす日があったのに…、連絡していたら、会えたのに…、断られても、無理にでも会いに行きたかった……
三年ほど前でしょうか、お電話でお話しした時には、変わりない明るい口調で、近況を知らせて下さいました。
電話を置いた後、近くにいた娘に、
「誰と話していたの? なんかお母さん、すっごく楽しそうだったよ。」
と言われ、武田さんと話していたひと時、あの頃に戻って高揚していた自分に気づき、驚きました。
武田さんとの思い出は、楽しいことばかりです。
夏バテ解消にと、鰻を食べに行きました。
定時退社を決行し、イタリアントマトのお店にケーキを食べに行きました。
口当たりのいい、軽いケーキが好きでしたね。
トップスのチョコレートケーキも、資料室でお相伴させてもらいました。
タイガース戦のさよなら満塁ホームランには、興奮しましたね。
武田さんが、真弓に大きな声援を飛ばした時には、びっくりしました。
プロコルハルムの「青い影」をお借りしました。
かいがいしく料理をされていた頃の秘密のお話は、聞きそびれたままです。
何時ぞや突然、幼かった娘を連れて、事務所を訪問した時には、私の雑多な愚痴を聞いていただきました。
編集部で仕事を始めたばかりの頃、わからない事ばかりで戸惑っている私には、いつも優しいお姉さんで、給湯室でお茶を入れながら、泣き言を言って、甘えさせてもらいました。
原稿やゲラの梱包は、最後まで、武田さんのように綺麗にはできませんでした。電話も取るのが遅くて、ごめんなさい。
三十年も前の思い出が尽きません。
武田さん、マサイ族に会う旅には出られたのでしょうか?
私は今、英語が聞き取れなくてとても苦労しています。
もっといろいろ話したかったし、聞きたかった……
会って、ちゃんとお礼を言いたかった……
いくら悔いても仕方がありませんが、残念で、寂しいです。
なんだか小学生の作文のようになってしまいましたが、武田さんなら、
「それでいいんよ。」
「ええんちゃうの、それで。」
と言ってもらえるような気がしたので、拙文を送らせていただきます。
トップスのチョコレートケーキ、
プロコルハルムの青い影、
阪神タイガース、
小さめの几帳面な字、
少し乾性の細く高めの声、
ちょっと猫背で歩く姿、
お洒落な靴、
やさしい笑顔、
忘れません。
生前にいただいたやさしさと、受けた言葉の数々に深く感謝し、
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
武田栄美さん、ありがとうございました。(MM)

武田さんのご訃報を伺い、びっくりしました。
それとともに、一気に同朋舎の初期のころが思い出され、複雑な思いです。
武田さんにはほんとにお世話になりました。まじめで、英語に堪能で、事務処理に巧みで、
ずさんな私には有り難い存在でした。特に私が娘を出産するため二ヶ月入院したときには
そのとき抱えていた仕事のことで何度も病院にきてくれました。そのときの交換日記を大事に取っておいたので、
今回探してみたのですが、どこにしまいこんだのか、みつからなかったのは残念です。私の乱暴な字ときちんと書かれた武田さんの字が交互に書かれたあの日記を、もう一度読み返して見たかったのですが。
ボーイッシュでおしゃれの上手だった武田さん。三年間御闘病だったということは全然知りませんでした。
もう十年前くらいになるでしょうか、まだ、京都の阪急百貨店があったころ、上りのエスカレーターに乗っていて、隣の下りエスカレーターですれ違った彼女を見かけたことがあります。
あ、と思ったときには既に遠く離れて声をかけることもかないませんでした。そのときのシャープな横顔が私の見た最後の武田さんです。あの静かな横顔で何を考えていたのだろう。冷静な表情のなかで吹き荒れるものもあるに違いないとそのとき思ったのでした。
心よりご冥福をお祈りします。(SI)

灯台のようなひと
向こう見ずで怖いもの知らずだった20代の私が怖いものを知ったとき、武田栄 美さんは、時化る海から眺める灯りのような存在でした。 不夜城と言われた壬生川同朋舎。個性的な人が集まった、その三階編集部の中 でも、特徴のある高くよく通る声に、さっぱりしたもの言い、ボーイッシュで スマートなベリーショートとパンツスタイルは目立つ存在で、それまでもそれ 以降も出逢ったことのないタイプの知的な女性でした。 どこか中性的であり、公平性を保つような雰囲気が漂われていて、慣れない仕 事に右往左往するばかりで、どのように振る舞えばいいのかもわからずびくびくしていた臆病な私にとって、勇気をもって話しかけることの出来る数少ない 先輩編集者でもありました。 語学に秀でられ、美しい文字と几帳面な校正、真似したくてもできそうにない 超然とした態度には優しさを兼ね備えておられ、三階のフロアーに武田さんひとりがおられるとき、今がチャンスとばかりに広告原稿を携えて、一階から階 段を駆け上がっていた当時のことを思い出します。
長年、お親しくされていた印刷の野々口さんもまた、柔らかな物腰の方で、同 朋舎を退職してから、いつか三人で一緒にお食事をと願いつつ、その日を迎えることが出来ずに訃報をお聞きすることになりました。 武田さんの訃報は、会社を起ち上げてからずっとお世話になっていた方の葬儀 から職場に戻ったばかりのときでした。電話を受けたくされ縁というか戦友と でもいおうかの受け答えで何となく武田さんのことを察しました。こうやって 時は過ぎ、人は老い、死に、移り変わってゆく、そう、私も。
武田さんと同じ空間で仕事をすることが出来た時間はとても短くても、私がぼ けない限り忘れることはないと思います。
いずれ、また、お逢いできるだろうと思っています。 (MO)

武田さんのイメージは、ショートカットでいつも明るく、
そしてはきはきとものを言うお姉さんという当時テレビ界でよく出演していた
“兵頭ゆき”さん「ゆきねえ」とダブっています。
武田さんとは同朋舎出版が壬生川から四条へと本社社屋に移る前後から
お顔を見受ける回数が減りどうなさっているのかだんだん私の記憶から
遠ざかっていきました。
私も図書印刷同朋舎を離れ、4年8ヵ月たちお顔は浮かびますが名前が
出てこない方も増えてきた今日この頃…。
“武田さん”という苗字を目にして思い浮かべることのできる数少ない
仲間=戦士のひとりです。
私と世代は同じだと思いますが、まだまだやりたいこと為したいことがあったとおもいます。
武田さんの心中を察することはできませんが、
‘残念’、‘無念’だけではないとおもいます。
今はただご冥福を祈るだけです。
御苦労さまでした。今はしばしの別れです。(HK)

武田さんを送る言葉

「武田栄美さんを送る会」寄せ書きより

※3月1日に開催した「武田栄美さんを送る会」において出席者のみなさんにお母さんあるいは本人宛のメッセージを書いていただきました。遅くなりましたが、ここに紹介させていただきます。みなさん、ありがとうございました。(順不同)
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ご縁をいただき、ある時代を一緒に過せたことが、とても大切な思い出です。
感謝申し上げます。(HF)

私は栄美さんと同い年の昭和28年生まれです。
同朋舎時代と唐草の初期にいっしょに仕事させて戴きました。
逆縁となり、さぞおつらいかと思います。
お体ご自愛戴き、ぜひ長生きされますように。(KW)

初めて栄美さんにお会いしたのは、もう30年以上前です。小生、同朋舎出版では短かったのですが、その後、時々竹屋さんの事務所で栄美さんの笑顔に出合えることがひそかなよろこびでした。いつまでも彼女の笑顔とはずんだ声が心によみがえってきます。
お母さま、ご自愛ください。(AI)

三十四年前の五月にお会いしました。
途中入社の者でしたから、入社後は栄美さんに大変お世話になりました。
同朋舎を退職されてから、お会いしなかったことが誠に残念です。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。(TH)

24年前、矢野産婦人科医院で長男妊娠中にお世話になりました。お陰様で長男は社会人となりました。
武田さんは本当にあこがれの人でした。
いつもピシッとアイロンのかかったチノパンツ、さっぱりした明るい性格、仕事ができて、英語もペラペラ話せるけど、まったくえらそうにしない控えめなところ…。
ご冥福をお祈りするとともに、どうぞお母様、ご自愛下さいませ。(TH)

武田さん
「ぼんちさん!」と呼んでいただき、いつも暖かく見守っていただいたことを思いだします。淡々と仕事をこなし、平然としている様、会社を離れると自分のしたいことに打ち込んでいるとの話でした。その姿に多くのことを教えられました。
今は御冥福をお祈りします。(HH)

上野さんからお知らせいただいて、たいへんびっくりしました。悲しいです。
いろいろ思い出を振り返っています。私の人生の一ページにきっと残るでしょう。
どうぞ、ご冥福をお祈りします。
残念です。(TK)

武田さんとのおつきあいは同朋舎にいらっしゃった最後の一年間だけでしたが、新人の私に新島襄全集のひきつぎをされた時、心もとなかったのではなかったですか? それなのに、あの笑顔でおし気もなくそれまでの仕事を見せてくださいましたね。手書きのあの美しい字で書かれた書類、特に手紙はいまだに忘れられません。
本当にお世話になりありがとうございました。(AK)

同朋舎出版に入社して2年後くらいに武田さんちにお泊まりに行きました。ひとりの生活をとても楽しんでおられる様子が印象的。マイペースでこだわらない、人に気をつかわせない心のやさしさ。そんな武田さんでした。(YW)

武田さんには、本づくりの基礎からおしえていただき、大変お世話になりました。
打ち合せに唐草さんに伺うと、サッカーの話をして楽しく気分転換させていただき、すごく気をつかって下さる方でした。
ありがとうございました。(TK)

武田さん、いつも優しくむかえて下さって、悩みごとや心のもやもやしたこと、やんわりと聞き出して心をときほぐして下さいました。
楽しかった思い出ばかり思い出されます。
「腹のたつ修正や、しょうもないレイアウトは、将来のひき出しの1つにしまっておいてね」
と言って下さった。丁寧に仕事をすること、教えて頂いたこと、まだまだこれからですが、武田さんに教えて頂いたこと、大切にしていきたいと思います。
お茶(絵)とお菓子(絵)ごちそうさまでした。
武田さん、ありがとうございました。(MY)

タケダさん! そしてお母さま。
今日はなんとこんなスバラシイ会に呼んでいただいて、めちゃうれしいよー!
時がたつのは、ホンマに早いです。
でも、タケダさんとの時間はずーとずーと変わらず、ぼくの心の中にありつづけます。
たいせつなことをたーくさん、気づかさせていただけて、本当にありがとうです!
感謝。(AT)

えみさん♡ 大好き♡ お母様もありがとうございました。
えみさん、いつもいつも私達スタッフのコトを想い、気を遣って下さって、本当にありがとうございました。
えみさんの愛は心にしっかり残っています。絶対忘れることはありません。
まずはえみさんの笑顔、人を笑顔にするえみさんにいつもいつもパワーを頂いてました。
お誕生日に頂いた手袋もとてもオシャレでうれしすぎて、大切にしすぎて、使うコトができません。私の大切な宝物の1つです。
事あるごとにお葉書をていねいに下さって、それも宝物の1つです。
しっかり私の事を想って考えて下さったのだなぁと、心が豊かになりました。そのように人を想いやる言葉使いや表現をいっぱい教わりました。
おシャレなお洋服も大好きでした♡ 仕事場におじゃまさせて頂いた時も、えみさんの仕事場を見れて、えみさんの人柄を感じさせて頂きました。とてもていねいで、優しく、かわいくて、キラキラして、かっこよい。そんなえみさんのような人になりたいです。
尊敬しています。まわりの方のお話もとても楽しく、愛をいっぱい感じていました。
本当に感謝しかありません。
ありがとうございました。(MY)

エミさんへ
4人で食事会をしていた頃のことを思い出しています。
楽しい思い出を有難う!! (SC)

栄美チャン
長い長い歳月40年間
私達親子を暖かい
的を射たアドバイス
ありがとう (Kファミリー)

タケダさん
春風のようなさわやか
ありがとうございました。(SO)

たけださん
たくさんの優しさと
あたたかい笑顔を
ありがとうございます。
大好きです。(KS)

同朋舎出版に入社したとき、先輩としていらした武田さん。
ボーイッシュなスタイルなのにあの甘い声、
いらっしゃるだけで安心感がありました。
もうお会いできないと想うと残念で淋しい。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。(KW)

武田さんへ
私の中には同朋舎でいらした頃の武田さんしかありません。
ボーイシュで、さわやかで、おしゃれで、
細やかな心づかいのある女らしい方でした。
みんなに愛されて、いつもうらやましい、尊敬できる方でした。
淋しいです。
天国で楽しんで下さい。(YS)

武田栄美さんへ
あまりに早い旅立ちでしたネ。
最後の最後まで、編集に情熱をそそぎ、
復帰を夢見て頑張ったのネ。
貴女の声とほほえみはみんなの心に宿っていますよ。(KK)

武田栄美さんへ
二人でお笑いマンザイをしていた日々、
懐かしく想い起こしています。
また、いつかきっと会えるネ。
倶会一処  (TD)

武田さんのお母さんへ
武田さんがお母さんの為にと、私にお願いされた記憶2つ。
1つは、お母さんがリハビリに使うのでと、自転車のタイヤチューブが余っていたらと…。
もう1つは教会の聖書の訳が慣れないから、余ってたらと…。
ささやかなお願い事でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。(YK)

懐かしい顔がそろっているのに、
武田さんがいないなんて、あの声が聞こえないとは信じられません。
実は同じ病気でした。今となってはお話ししたかったなあ…。
でも、鮮やかな幕の下ろし方だなあと。
スタイリッシュな武田さんらしいと想います。(MO)

武田さん
いろいろプライベートの話を聞いていただきありがとうございました。
武田さん、竹屋さんにはいろいろ相談にのってもらいました。
武田さんの笑顔が目をつぶると浮かびます。
武田さんのようになりたいと思ったことが何度もあります。
あこがれの人でした。(KU)

似顔絵、やらせてもらいました。
武田さん、喜んでくれてますか? (FI)

一保堂のほうじ茶がおいしかったです。
武田さんの校正、穴を見つけたくて、頑張ったバカクライアントです。
ありがとう。(TM)

おいしいお茶を、いつもありがとう。
美しい小包を、いつもありがとう。
すてきな英文を、いつもありがとう。
いまは、ゆっくりとお休みください。(HT)

武田さん
お仕事では本当にお世話になりました。
カールヘルム素敵でした。豆だいふくおいしかったです。
竹屋さんの悪口、楽しかったです。
安らかに…  (YI)

武田さん
いつか貴方のようなカッコイイ、素敵な編集者になりたいと、ずっとあこがれていました。
いろいろとおせわになり、ありがとうございました。
安らかにゆっくりお眠り下さい。(MH)

武田さんのお母さんへ
栄美さんはいつも優しく、誰に対してもご親切でした。
あんなに良いお嬢さまをお育てになったお母さん。
私たちは栄美さんのことを忘れません。(AO)

あの世でお逢いしても
決して知らん顔をしないでくださいよ! (YN)

お母さまへ
残念でございました。武田さんとは仕事で何度もお世話になりました。
生まれるは偶然、死ぬのは必然でございます。
頑張って下さい。 (SK)

ただ、ご冥福をお祈りしております。
竹屋さんとの間を継いでいただいて、
そのコントロールさばきに感心しておりました。
ありがとうございました。 (KN)

振りむけば、
今もそこに武田さんがいる。
そんな気がしてなりません。
背中合わせに30余年。
ほんとうにありがとう。(MT)