HPのなかの忘れ物

久々にoffice TALのHPにログイン。
1年ぶりくらいではなかろうか。
そうしたら忘れ物を発見した。
昨年の10月付の日記の下書きだ。
開いたら長田弘さんのこの詩が貼ってあった。
この詩にどんなコメントを付そうとしていたのか
まったく記憶にない。
昨日のことさえ思い出すのに苦労するのに、
ほぼ1年前になにを考えていたかなんて
わかるはずもない。
「何かとしかいえないもの」の実感を、
朝のコーヒーか、日々の仕事か、
夕暮れの雑踏のなかに
自分も覚えていたのだろうか。
それともそうしたものへの不感を
嘆こうとしていたのだろうか。
と思いながら、私も今朝2杯目のコーヒーを
静かに持ち上げる。

何かとしかいえないもの
長田弘

それは日曜の朝のなかにある。
それは雨の日と月曜日のなかにある。
火曜と水曜と木曜と、そして
金曜の夜と土曜の夜のなかにある。

それは街の人混みの沈黙のなかにある。
悲しみのような疲労のなかにある。
雲と石のあいだの風景のなかにある。
おおきな木のおおきな影のなかにある。

何かとしかいえないものがある。
黙って、一杯の熱いコーヒーを飲みほすんだ。
それから、コーヒーをもう一杯。
それはきっと二杯めのコーヒーのなかにある。

バッハがオフィスにやってきた・・・

バッハのことは、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイビスの100分の1、いや1000分の1も知らないのだが、たまさか最近続けて聴いている。
まずは、このアルバム。
Yo-Yo Ma, Chris Thile, Edgar Meyer『Bach Trio』
昨年、ブラッド・メルドーと共演したマンドリン・プレイヤーのクリス・シーレを追いかけて、行き当たった新作。
マンドリンとクラシックの関わり、そしてバッハをマンドリンで演奏することが珍しいのかどうかもまったく知らないが、ヨーヨー・マのチェロに絡むマンドリンの音色が美しい。それで十分。
「Sonata No. 6 in G Major, BWV 530: I. Vivace」

で、続いて出現したのが、このアルバム。
Kuniko Kato『Bach』(マリンバのための無伴奏作品集)
打楽器プレイヤーの加藤訓子は何年か前の作品『Plays Reich』が衝撃的で、その後何作か続けて聴いている。ペルトやクセナキスと来て、うわっバッハかよ、と驚いたものの、ここは逃げるわけにいかない。なんだか、そぎ落とされたバッハ。ミニマルなバッハ。それが私好みで妙に心地よい。それで十分。

ただ、Kunikoさんはやっぱりライヒだよなあ。

で、結局はバッハの周辺を撫でただけで、バッハのことはコルトレーンやマイルスの1000分の1も知らないままなのである。

パソコンのいたずら

こ、こ、怖い。

デスクトップパソコンは古くて動きが重いので、
最近はスキャンの読み込み専用に使っている
(なぜかノートパソコンと複合機がつながらないため)。
起動するのにも時間がかかるため、
けっこうつけっぱなしにしてることが多い。
で、今日もつけっぱなしにしていたら、
なんと1枚の写真が画面に浮かび上がっているではないか。

な、な、なんじゃあ、こりゃあ。
三十数年前の某かおるさんの結婚式。
当時、同朋舎出版に勤めていたメンツが勢揃い。

うーむ。なにかに知らずに触れたにしろ、
この写真がパソコンの膨大なデータから
呼び出される確率って、
0.1%以下だと思うのだが。
虫の知らせとかは信じないが、
単なる偶然であってほしいもの。
それにしてもみんな若いなあ。

初めての編集後記(春の終わりに)

rakka_0804a

1979年だから、38年前になる。

東京の大学を5年かけて卒業しようとしていた私は、

就職試験に落ちまくっていた。

書くことが得意だったわけでもないが、

書くこと・読むことしか自分にはできないと思っていた。

だから、なうての出版社の入社試験を次々と受けたのだが、

大学時代の成績は最悪だったし、ろくに試験勉強もしなかったから、

ことごとく討ち死にしたのは当然のことだった。

第一、人見知りする私は

面接でちゃんと話すこともできなかったのだ。

それでも、すでに結婚しており子どももいて、

就職しないという選択肢はなかった。

そこで、最後に拾ってくれたのが、

京都にある専門雑誌の出版社であった。

その年の3月半ばから雑誌記者として働きはじめ、

まずは自分の無力を思い知った。

コピーひとつ、満足に取れないし、

原稿を書けば、誤字脱字だらけだった。

そんななかで、初めて商業雑誌に編集後記を書いた。

春はどこでも同じ貌(かお)を見せる。満開の桜であり、詰まるところは桜下の酒宴である。桜吹雪の中、東の友たちの顔が明滅する。急いで呟かねばならないか。私が変わったわけでも、変わろうとするわけでもない、と。やがて、初夏の驟雨がすべてを洗い流してしまうだろう。(矢)

38年前、鉛筆なめなめ書いたこの文章を、

いまでも春になると、いつの間にか私は諳んじている。

自分の社会人としての第一歩だからか、

私特有のセンチメントにいまだ呪縛されているせいなのか、

そのあたりはよくわからない。

ただ、ここに詰まっていた青臭い未練や希望を、

ひたすらすり潰していまの自分がいることを、

齢60を過ぎて、苦く噛みしめるばかりである。

 

 

 

歌の力を補給する

どちらかというと、主にヴォーカルなし(インスト)のジャズばかり聴いているのだが、
ときたま歌モノを聴きたくてたまらなくなることがある。
それは例えば、春の今のような時節。
そして、おおむねジャズではないジャンルの歌モノを選ぶことになる。
この春のラインナップはかくのごとし。

Teresa Salgueiro『O Horizonte』
ポルトガルの代表的なトラッド・グループ、Madredeusのヴォーカルを務めていたシンガー。
ヴィム・ベンダース監督の『リスボン物語』を想い出す方も多いのではないか。
「Horizon」https://www.youtube.com/watch?v=pXoylV6DjKw

Daymé Arocena『Cubafonía』
キューバの新進の重量級シンガー。確かまだ20代前半だと思う。
ラテンの伝統やジャズの要素を包含した、パワフルな歌いっぷりが魅力的だ。
「Lo Que Fue」https://www.youtube.com/watch?v=X5I7R9DH6bk

Emel『Ensen』
ジャスミン革命など「アラブの春」に存在感を示したチュニジアの気鋭のSSW。
「自由とは」「人間とは」を問うその第2作。民族音楽とポップスの融合。
「Ensen Dhaif」https://www.youtube.com/watch?v=TXv5ByGSsbA

Roberta Sá『Delírio no Circo』
リオ五輪閉会式でも歌った現代ブラジルを代表するシンガー。
これは2016年のライブ盤で、多様なスタイルの生き生きとした表現を味わえる。
「Meu novo ilê」https://www.youtube.com/watch?v=SkudTpWWgFc

楽器では表現できない、「歌の力」というものが存在すると思っている。
そして、それは言葉と生命のコラボレーションにほかならない。
ときどき、歌を無性に聴きたくなるのは、
体内で枯渇しがちな、そのような養分を補給するために違いない。

 

そして僕は残る(あるいはミラボー橋)

ミラボー橋

自分の原稿だからということもあるのだろうが、

最近、校正の見落としが多い。

疲れているときには

小さな字はいっそう見えづらくなる。

そもそも武田さんと仕事をしていたときには、

自分で校正なんかしたことがなかったんだ。

その武田さんが逝って、先月で2年が過ぎた。

多忙に過ごすうちに、何気なくその日は終わっていた。

頭の片隅にはあったが、仕事に追われ、追われるに任せた。

そんなものだと思う。

大勢の方に集まっていただいた「武田栄美さんを送る会」で、

私はいった。

「亡くなった人は、親しかった人の記憶にしか残らない。

だから少しでも長く武田さんを忘れないでいてください」と。

そういった本人からして、この有様である。

こういう苦い思いとともに、

いつも浮かんでくる詩の一節がある。

ギョーム・アポリネールの「ミラボー橋」。

なにを隠そう、私の大学の卒論はアポリネールだったのだ。

(別に隠していないが、できれば隠しておきたい。恥)

夜よこい 鐘もなれ
日々はすぎ 僕は残る

大学のときに少しだけ習った窪田般弥先生の訳。

これが堀口大学訳だとこうなる。

日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る

福永武彦訳だとこれ。

夜よ来てくれ鐘は鳴れ
日は過ぎ去つて僕のみは

私が口ずさむ記憶の一節は実はこれらの混合体。

日は流れ、鐘は鳴り
そして僕は残る

元より原詩なんて頭の片隅にもない。

こうなると、あきらかに誤訳である。

武田さんが知らない、蹴上の事務所に移転してから

今月の初めで1年が過ぎた。

「そして僕は残る」

それさえ、あとどれだけ続くことか、

一寸先は誰にもわからない。

とまれ、また桜が咲き、

若葉が萌える季節がやってくる。

それを待ちわびるわけでもないのに。

ジャズマンの晩年

最近、Chet Bakerの晩年の演奏を聴いている。

晩年といっても享年57だから、もはや私より年下だ。

ChetとかArt Pepperは才気あふれるアドリブ、

瑞々しい感性を披露した初期の作品の人気が高い。

だが、私には人生の泥にまみれた後期の作品が魅力的だ。

 

Chetを思うとき、もうひとりの意外なトランぺッターが頭に浮かぶ。

フリージャズ系のDon Cherryである。

全然タイプの違うトランぺッターなのだが、

なぜか晩年のスタイルが似ているように思えてならない。

自然体とでもいえばいいのだろうか。

どちらも飛び切り上手いわけではないんだけど、

「こいつはこいつしかいない」っていう存在感が、やはり素晴らしい。

 

では、逝去の1年まえの東京公演から。

「Almost Blue」https://www.youtube.com/watch?v=keHlTVICWts

「My Funny Valentine」https://www.youtube.com/watch?v=IzpfZaZfsZg

詩人と怪物の命日に

今日、5月4日は寺山修司とハイセイコーの命日です。
寺山は1983(昭和58)年に、
ハイセイコーは2000年(平成12)年に亡くなっています。
奇しき縁(えにし)といわざるを得ません。

「さらばハイセイコー」は
ハイセイコーが引退したときに寺山が発表した詩
(増沢騎手の歌とは別物です)。
当時、駆け出しの競馬ファンだった私は、
この詩に強い衝撃を受け、
これが今も変わらぬ、自分の競馬観の原型となりました。

少し長いけど、引用します。

photo_Terayama_top

さらばハイセイコー

ふりむくと
一人の少年工が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた

ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に
手鏡を買ってやった

ふりむくと
一人の車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った

ふりむくと
一人の酒場の女が立っている
彼女は五月二十七日のダービーの夜に
男に捨てられた

ふりむくと
一人の親不孝な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当で
おふくろをハワイへ
連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった

ふりむくと
一人の人妻が立っている
彼女は夫にかくれて
ハイセイコーの馬券を買ったことが
たった一度の不貞なのだった

ふりむくと
一人のピアニストが立っている
彼はハイセイコーの生まれた三月六日に
自動車事故にあって
失明した

ふりむくと
一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて始めてもらった月給で
ハイセイコーの写真を撮るために
カメラを買った

ふりむくと
大都会の師走の風の中に
まだ一度も新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生の大レースに
自分の出番を待っている彼らの
一番うしろから
せめて手を振って
別れのあいさつを送ってやろう
ハイセイコーよ
おまえのいなくなった広い師走の競馬場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ

ふりむくと
一人の馬手が立っている
彼は馬小屋のワラを片付けながら
昔 世話したハイセイコーのことを
思い出している

ふりむくと
一人の非行少年が立っている
彼は少年院の檻の中で
ハイセイコーの強かった日のことを
みんなに話してやっている

ふりむくと
一人の四回戦ボーイが立っている
彼は一番強い馬は
ハイセイコーだと信じ
サンドバックにその写真を貼って
たたきつづけた

ふりむくと
一人のミス・トルコが立っている
彼女はハイセイコーの馬券の配当金で
新しいハンドバックを買って
ハイセイコーとネームを入れた

ふりむくと
一人の老人が立っている
彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ
やけ酒を飲んで
終電車の中で眠ってしまった

ふりむくと
一人の受験生が立っている
彼はハイセイコーから
挫折のない人生はないと
教えられた

ふりむくと
一人の騎手が立っている
かつてハイセイコーとともにレースに出走し
敗れて暗い日曜日の夜を
家族と口もきかずに過ごした

ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机のひき出しには
ハイセイコーのはずれ馬券が
今も入っている

もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにハイセイコーは
もういないのだから
ふりむくな
ふりむくな
後ろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
全てのレースが終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる

思い切ることにしよう
ハイセイコーは
ただ数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった
ハイセイコーはむなしかったある日々の
代償にすぎなかったのだと

だが忘れようとしても
眼を閉じると
あの日のレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ

(終)

img2

今日、五月晴れの空の一隅で
ハイセイコーが轟くように走っていて、
寺山が目を細めながらそれを眺め、
新しい詩を書こうとしている。

寺山の愛した5月、
白昼の楽しい夢想です(笑)。

5月の墓参

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹   寺山修司

DSC_2082

早いもので

今年も5月に入った。

その最初の一日。

武田栄美さんのお墓に

旧知の人たちが集ってお参りした。

総勢13名。

呼びかけた当方が驚くほどの人数であった。

京都洛西の山腹にある京都霊園。

急勾配を強い風にあおられながら、

息を切らして登っていく。

逝去したのは去年の2月、

ここの共同墓地に葬られたのは去年の9月。

今年の2月末には、わが事務所の引っ越しにより

彼女の長年勤めた職場はこの世から消えた。

お参りする私たちもひとしなみに歳を喰った。

いくつもの小さな花束が墓前に並ぶ。

「花より団子だったのに、もう喰えねえからな」と

憎まれ口をたたくのは私。

見上げると、薄曇りの空。

小さな影が街のほうへ流れていった気がした。

 

で、ビール一杯の約束で飲みはじめたら、

予想どおりに「あとはおぼろ」。

ビアホールからバーへ。

その途中の路上で記念撮影。

DSC_2087

モウロウ頭は青少年のごとく考えた。

その日が来るまで、とにかく生きる。

なるべくなら、飲み続ける。

仕事にも微力を尽くす。

来年の墓参りは青空だといいなあ。

抜けるような5月の青空、だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お墓参りの仕切り直し、あるいは不在の存在感

IMGP0258

整理整頓が苦手で、

ホッチキスやハサミ、カッターなんか

しょっちゅう見当たらなくなる。

昔、武田さんがいたころは、

振りむいて、「ハサミ」とか「ホッチキス」とかいって、

すぐに借りたものだ。

ずぼらなので借りっぱなしにしていても、

いつも間にか自動回収されていた。

いまはそういうわけにはいかないので、

一計を案じた。

100均でハサミ、ホッチキス、カッターを

複数個買ってくるのだ。

ストックではない。

みんな現役で、いろんなとこに置いておく。

これで探す手間が省けるはずであったが、

それでも必要なときに

なかなか見つからないことがある。

 

枕が長くなってすみません。

延期していた武田栄美さんのお墓参りを

下記の要領で実施します。

日時:2016年5月1日(日)午後2時

集合場所:阪急桂駅

お墓は京都洛西の京都霊園。

お墓参り終了後、

ビールを1杯だけ飲んで解散する予定です。

参加希望者は私か、上野かおるさんにご連絡ください。