カテゴリー別アーカイブ: TALの日記

Kimiko Sings Standards

【本日のBGM】

Kimiko Kasai with Gil Evan Orch.『Satin Doll』(1972)

いやあ、懐かしいアルバム&シンガーです。

若いころはジャズシンガーといえば、まずこの人でした。

Gilのオーガニックなアレンジに乗って、

気持ちよさそうにジャズ・スタンダードを歌い上げる笠井紀美子。

当時、気鋭のジャズシンガーとして注目された20代後半の作品だが、

個人的には疑いなく笠井の代表作だと思っています。

You Tubeではこのアルバムを見つけられなかったので、

笠井がスタンダードを歌ったライブ映像をピックアップしました。

お暇な方はお楽しみください。

笠井紀美子「My one and only love」 http://www.youtube.com/watch?v=5tVneCnN9aw 

Duke Ellington Medley  http://www.youtube.com/watch?v=9rWSpyWFOyo

「Love for Sale」 http://www.youtube.com/watch?v=qgZvW-dckc4 

詩人の散文

「消えたランプの発端から終焉までを告発する

発生する癌の戦争

大砲の車輪のひと廻りする時

無意味に穴のふさがる時

多くの人類の死・猿にならねばならぬ無声の死

下等な両生類の噛み合う快感の低い姿勢

横たわる死・だんじて横たわる死

古代の野外円形劇場の太陽の下の醜悪な消却作業

一人だけの少年は哭きわめく

粥状の物質の世界で

コップの嵐のなかで

まさに逆さまだ」(吉岡実「果物の終り」)

絢爛たる言葉で形而上学的イメージの王国を描いた詩人・吉岡実。

ところが、その吉岡が散文を書くと、イメージが一変する。

「三月九日、晴。土方巽の誕生日。来宮の山荘で、正午から四十九日(七七忌)の法要がいとなまれる。庭の松の枝の間から、凪いだ海が輝き、初島がよく見えた。四十人ぐらい集まったようだ。昼餉と酒。夕刻まで、梅園を散策し、おちこちの紅梅白梅を眺める。

夜、元藤夫人から挨拶と今後の方針が述べられる。意見の交換があるも、統一的な結論には至らなかった。」(「補足的で断片的な後書」『土方巽頌』)

一読、シンプル極まりない文章。起こった事をそのまま書いているだけに思える。

しかし、一度でも文章に苦労した人ならわかると思うが、

これはストイックで鏤刻された文章なのである。

客観的かつ即物的であり、およそ詩的なものは排除されている。

私はこういう文章を書きたいとかねて望んでいるが、足下にも及ばない。

それにしても、この詩と散文の著しいコントラストはどうだろう。

ひとりの男のなかの対極に位置づけられることで、

詩はより奔放にイメージを拡張し、散文はよりストイックに純化していったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

タイガースの終戦

阪神タイガースは宗教だ。

われわれはマインドコントロールにかかっている、といったのは、

確か日本文化研究センターの井上章一先生だったと思う。

阪神ファンは裏切られても、踏んずけられても、

阪神タイガースに愛想をつかすことはない。

恋人ならなんぼなんでもこうはいかない、

だから宗教なのだと、

稀代の阪神ファンである先生は宣っている。

まったく同感だ。

本日、タイガース終戦の日。

阪神ファンは、性懲りもなく思うのだ。

「来季こそ、優勝や。でも、あかんやろな」と。

この切ないアンビバレンツを抱えて、

ひたすら来季の開幕を待ちわびるのである。

 

 

 

FBにTALの頁を追加

Facebookにoffice TALの頁を追加しました。

まだ、中味はなんにもありません。

こっちもおいおい充実させていきます。

https://www.facebook.com/pages/Office-TAL/215114645330630

ちょっと不満だったのは、名称が「office TAL」では認められなかったこと。

単語の頭が小文字ではダメなようで、「Office TAL」にせざるを得ませんでした。

この新頁もどうかよろしくお願いいたします。

音楽を浴びて

「音楽はしばしば海のように私を捉える」(シャルル・ボードレール)

仕事をするときには、だいたい音楽をかけている。

もちろん、仕事が主で、音楽が従なので、

それほど真剣に聴いているわけではない。

それにしても、音楽を聞いている時間は

普通の会社勤めの人と比べたら、とんでもなく長いと思う。

15歳くらいからいわゆる洋楽、17歳くらいからジャズを聴き始めたから、

音楽愛好歴も長いのだが、

古いものから新しいものまで、

ジャンルもジャズやロックにとどまらず、

いわゆるワールドミュージック(スペイン、ポルトガル、アルゼンチン、キューバ、アフリカetc.)や、

クラシック(現代音楽、古楽が主)にまで広がっているので、

もはや収拾がつかなくなっている。

CDの山を眺めて、ため息をつくことも一再ならずだが、

良きも悪しきも、私が生きてきた結果であるから仕方がない。

初めてofficeに来られた方は奇異に思われるかもしれないが、

けっして変人でもオタク(いや少しそうなのか?)でもなく、

ごく普通のオヤジなので、どうかご安心を。

20131004_152214

お知り合いの方にはCDの貸し出しもいたしますので、

お近くにお越しの節にはぜひお立ち寄りください。

 

 

 

 

 

 

琴の鳴る秋

まだ少し日中の暑さは残っていますが、

すっかり秋ですね。

秋が訪れるたびに思い出す詩があります。

クリスチャン詩人・八木重吉の「素朴な琴」。

「このあかるさのなかへ

ひとつの素朴な琴をおけば

秋の美しさに耐えかねて

琴はしづかに鳴りいだすだらう」

視覚と聴覚の両方でイメージを喚起し、

そして「素朴な琴とは何か」「なぜ鳴り出すのか」など

哲学的な思索に誘います。

と、まあ、そういう理屈はさておき、

透きとおるような明るい陽の光があふれる

今日のような秋の午後には

どこか遠い空のしたで鳴っている琴の音が

時おり耳に届いてくるような気がします。

 

読書のリハビリ

「面白い本はきりなくあり、時間との競争は、のどかにも心せく」(「晩年の読書」、『不思議な微熱』所収)

小説家・中村真一郎の晩年のエッセイの一節である。

中村は和漢洋の古典から現代文学・評論、ミステリーに至るまでの膨大な蔵書に埋もれ、「しかも毎月、十冊ほどパリから届く本、やはり知友や出版社から贈られる数十冊の本、散歩の途次に気まぐれに買い求める、これも少なからざる内外の本というのが、人生の持ち時間が減少するのに反比例して、未読のまま増加していくのである」(同前)と(半ばうれしそうに)嘆息する。

もとより、このような知の巨人と比較するべくもないが、この十数年は多忙に紛れて、仕事以外で本を読むことが少なかった。多くの本が積ん読状態で放置され、本棚の肥やしとなっている。

最近、少し時間ができたので、なかなか手に取れなかった大冊にでも挑戦したいと思ったのだが、すっかり本を読む習慣を失っていることに気づいた。それで、まずはリハビリと読みやすいミステリーや時代小説に耽っている始末。最近のお気に入りは東直己の札幌ハードボイルドで、主として通勤時間に熱読している。

これじゃあ、いけないと思うのだけど、中村先生もこう書いているので、凡夫にはなす術もないかも・・・。

「ただ私には、中年以来発生した、多分、性格的弱点にもとづく悪癖があり、深夜など目覚めて頭が正常な読書に耐えない時には、枕もとに積みあげたタンテイ小説と淫書の山を掘り崩すことにより、少ない時間を更に少なくさせてしまうのである」(同前)

ちなみに中村真一郎の蔵書の主要部分は日本近代文学館に寄贈され、中村真一郎文庫として保存されている。その数は洋書2,200点を含む7,250点である。

運動会の日に

office Talの事務所はビルの5階。

京都の街中だが、閉塞感がないのは、

北側に小学校があり、校庭の空間が開けているから。

丑寅にはわが故郷の山、比叡山を望むこともできる。

築40年余のボロビルだが、

広く切り取られた明るい窓とそこから見える風景が気に入って、

7,8年前、唐草書房の事務所としてここを選んだ。

今日は小学校では賑やかに運動会。

仕事が立て込んでいるときは騒音になるが、

午後から心静かに運動会の雰囲気に浸った。

遠い昔、ビリで泣きそうになりながら走っていた子供のことを

ほんの少し思い出し、苦笑いを浮かべながら。