先日、母が死んだ。
享年90。大往生の部類だろう。
医師の見立ては老衰だった。
5年前に父を送っているので、
私は中年の末期に孤児になった。
母の想い出は人並みにあるが、
今はまだ語る気持ちにはなれない。
それよりも、イコンの話である。
その人を集約したイメージ、というほどの意味だ。
わかりやすくいえば、SNSやブログのアイコンのようなもの。
母の死の一報を聴いた瞬間から、
私のなかの母のイコンが、
それまでの病み衰えた老婆から
私が子どものころのふっくらとした母に
劇的に置き換わったのだ。
亡骸を見ても、遺灰を拾っても、それは変わらなかった。
父のときには体験しなかった現象である。
やはり母は「永遠に母」であるのだろう。
それで、思い出した母の歌がある。
母はまだ幼女だった私の姉を事故で失っている。
「ただひとり命終の闇に向う時にも思うべし幼く逝かしめし子を」
母の臨終(いまわ)の瞬間、
おかっぱの童女が手を引きに来たのかどうか、
それはわからない。
ただ、婆さんでも、曾祖母さんでもなく、
母が母として身罷ったことだけは間違いない。
母の子として、そう信じている。

私は基本的に無神論者だが、嫁曰く、死後、悟りの早い人は、自分の一番いい時の姿になって、すぐに天に向かうとのこと。
そうでない人は、いつまでも現世に執着して、そのままの姿でうろうろするらしい。
既に天に召される準備のできていたご母堂は、さっそくその時の姿になって、貴君の前に現れたのかもしれない。
改めて合掌。
ところで、お母さんの歌は、とても心に響く。
私の母親も下手な歌を詠み、長女を生まれてすぐに亡くしている。
そのあと、どんな歌を詠んだのか、詠まずにどんな気持ちを心の奥にしまったのか、その時の心の穴を少しでも小さくするために、今のうちに聞きたいことを聞いておかねば、と思う。
いろいろお気遣いいただいて、ありがとう。
奥さんはクリスチャンでしたっけ。
さすがによいことを仰いますなあ。
後悔は先に立たず。
お母さんと話をする機会を
できるだけ多くつくった方がいいと思います。
では、また。